仕事に未来はない
仕事恐怖症。起きた瞬間から、強烈な恐怖が襲う。専門職であり、どこでも通用するだけの力量はつけてきた。しかし、組織の一部となると、それだけでは通用しない。部署異動したこともあるからか、今は慣れるまで仕方ない、と思い、日が経つのを待っている。孤独との戦い。
追い込まれる迄、仕事が必要な生活に嫌気をさすようになってきた。今の世代は多いんじゃないかな。
申し訳ないが、バブル期に散々楽して生きてきた世代の負を、今の若者に押し付けている事実。特に組織の人間模様は、その縮図だと思う。仕事の為に生きるのではなく、自分のスキルを身につける為に、仕事を利用する。サービス残業、とてつもなく高い税金、ストレスを与える存在。
我慢して生きるのはやめよう。
心の外傷ー恋愛
今の彼氏と縁合って、お付き合いするようになったのは、出会って半年くらいかな。優しくて、ストレートで、研究の先輩であり、笑いを与えてくれる唯一の存在。ただ、年の差を気にするあまり、先走りに、未だ起こらない不安を抱えながら付き合っていることは事実。
恋愛に関して、1度、心に外傷を追うと、負は消え去ることができない。私の心に留まり続けている。それは誰しも抱えるものなのだろうか。永遠に続くのだろうか。
人間の心だけは、同一なるものは存在しない。一年前の自分とは全く違う私になっていることは事実である。
恋愛には、負のスパイラルを起こしたくない。負の心を払拭させたい。
あれこれ考えるのは辞めて、唯、刹那な恋愛を歩むことが、今の私には精一杯なのだろう。
愛されることと、愛するにはバランスなど存在しない。
感情労働
行為から感情を経て、行為を引き受ける作業は、行為の媒介により、行為主体を助ける。一方、客体からの感情は主体の感情を壊す。仮としての行為は、感情につかの間の休息を与える。行為は人間に不可欠な刹那滅である、と言えよう。行為は人間のやり取りにおいて、クッションとなる。
パーソナリティの不安定さは、不安定である私の感情により、行為を抜きとして相手の感情を混乱させる。混乱させている私に気づくことが難しい彼ら彼女達は、それを個性として生きている。そこにはよそよそしさはない。
知らずして私の一部となり、私である彼ら彼女らの感情は、他者と私を同一としてみなしている。絶対性として譲れない私は、相手にも譲ることを許さない。
窮屈さを強要させ、時として、相手の感情を破壊する。それは、感情労働と呼ばれる所以ではないだろうか。